01 空腹サクラの場合

 

02 嫌悪マリの場合

 

03 冒険イチルの場合

 

04 欲情ネネの場合

 

05 我儘コトハの場合

 

06 秀才シズクの場合

 

07 千夜子の場合

 ※重大なネタバレを含みます。

我儘コトハの場合

 

 

■1

 

 うちは裕福だった。私にとっては普通だったけど、周りから見たらそうだったらしい。

 自宅はとてもお洒落。落ち着きのあるヨーロッパアンティークで統一されていて、私のお部屋は白を基調とした家具で取り揃えていた。

 広いお庭には芝の絨毯が敷かれていて、ロットワイラーという犬種のブラウンと走り回ることが出来る。ブラウンは体は大きいけれど、大人しくて優しい性格だった。

「え? カンナムラ?」

 私はブラウンに抱きつきながら聞いたことのない地名を繰り返した。

「そこにはなにがあるの?」

「自然、昔ながらの生活、それに僕の生まれ故郷なんだ」

「お父様の?」

 初耳だった。お父様がどこで生まれたかなんて考えたこともない。きっと、この家で私と同じように育ったんだとばかり思っていた。

 今年の夏休みのバカンスはハワイでもグアムでもフランスでもなく、カンナムラという、私にとっては外国よりも馴染みのないところだった。

 

 

■2

 

 車の中で、私は至ってつまらないという顔をして窓の外を見ていた。外は雨が降っていて、視界も悪かった。

 運転しているお父様は、楽しそうに助手席のお母様もどきと話をしている。時折、お母様もどきが私の顔色を伺うけど、私は一切目を向けなかった。

 

 お母様もどきと初めて会ったのは三ヶ月前。新しいお母さんを紹介すると言って、お父様がフランス料理店「コライユ」のランチに連れてきたのだった。

 コライユは私のお気に入りのお店だったから、その日は楽しみにしていたのに、彼女のお陰で台なしになった。

 見ず知らずの女がいきなり「あなたのお母さんになりたいの」と告げてきた時には、オマール海老の濃厚ビスクスープを危うく吹き出すという、恥辱この上ないリアクションをとりかねなかった。

 私はニ、三回むせて、それから水を少し口に含み、目を丸くして彼女を見た。少なくとも、せめて、そんなヘビーな話はメインが終わったあとにでもするべきだったと今でも思う。

 そうしてくれていたら、桃のコンポートに添えられたヨーグルトソルベをじっくりと嗜みながら、望み通りの小学生らしい反応も取れたというのに。

 

 なににせよ、お母様もどきとの初対面は最悪だったし、今もその印象は変わっていない。

 運転中でも満面の笑みで会話しているお父様は、お母様もどきをすでにメトッタつもりでいるのだろうけど、断固として拒否している私の手前、許諾するまでお母様もどきが私にとって戸籍上なんでもない存在である形を崩せないのであった。

 私の本当のお母様はとっても美人だし、あまり覚えていないけど優しかったし、いい匂いがした。

 それに比べてどうだろう。「もどき」の方は左右の目も整っていないし、前述の通り空気は読めないし、なによりメスの匂いの香水がキツくて、文字通り鼻についた。

 名前もフジコだかフジエだか、とにかく私の大嫌いなフジツボみたいな名前で吐き気がした。あれはどこの旅館だったか、サザエにフジツボの跡がついていたから取り替えてもらったのが記憶に新しい。

 そもそも「新しいお母さん」なんて肩書きがおかしかった。じゃあ本当のお母さんのことは「古いお母さん」とでも呼ぶつもりだろうか。どの家庭にとってもお母さんは一人だし、私は自分がそれに当てはまらなくなってしまうことがすごく嫌だった。

 

 

■3

 

「琴葉。着いたよ」

 お父様の声がして、私は自分の腕枕からふっと顔を上げた。ひとつあくびをして外を見ると、すでに降りていた「もどき」が伸びをしていた。いつの間にか雨はやみ、雲の隙間から陽が差し込んでいた。

 ドアを開けて私も降りると、じゃりっとした感触が足の裏に伝わった。地面はアスファルトではなく小石だらけの砂利道だったのだ。別にそれ自体が問題なのではなかった。

「いやあ、こんな懐かしい雰囲気のところに泊まるのは久しぶりだよ」

 お父様が揚々と言ったのは、その砂利道の途中に建っている薄汚い民家のことだったのだ。

「ホテルはどこ?」

 それが私の口をついて出た言葉だった。

 こんな場所に泊まれるわけがない、なにかの冗談だ。だって、玄関脇から見えるすぐそこの部屋の障子だって破れているし、なに回も修繕した跡がある。仮にも客を泊める施設なら、せめて跡のないよう貼り替えていなければ。貼り替えていたところでなにかが変わるようには見えないけれど。

「今夜のホテルはここなんだよ、琴葉」

 お父様は無邪気に、なんの悪意もなく、再度私に目の前の民家を見せつけた。

 その家には投げやりな字で「民宿」と書かれていて、ミンシュクと発音することも出来たが、初めて見た熟語が一体なにを表している言葉なのかわからなかった。

「いやはや、ウチがホテルだなんて……」

 やりとりを聞いていたおじさんが、中から出てきて困ったように笑みを浮かべた。Tシャツに腹巻きをしている安っぽいおじさんだ。

 これがホームレスというものなのかと思うと私は余計に混乱した。だって目の前の家から出てきたのだ。空き巣だろうか。

 不可解なのは、お父様がそんなことも気にせず、そこの入り口で宿帳に名前を書いていることだ。

 玄関前で立ち尽くしていた私は、自分の名前を呼ばれるまでその場から動くことが出来なかった。

 

 

■4

 

『うちはね、今年はオーストラリアに行くんですって』

 私がカンナムラへ向かう少し前のこと。電話口の向こうから紗羅ちゃんのつまらなそうな声が聞こえてきた。

『なんでも牛をまるごと一匹食べるらしいの』

 それはたしかにつまらないだろうから、フィレだけでいいのにねと同情の相槌を打った。他の部位は固かったり脂が乗りすぎていたりで、霜降りなんか考えただけで胸焼けがする。

『琴葉ちゃんのおうちは、今年はどこへ行くの?』

「カンナムラだって」

『え? どこ?』

 訊き返されて当たり前だ。カンナムラが国名なのか地名なのかもはっきりしないのに。

 

「オーストラリア……」

 私はぼーっとしながら畑の道を歩いていた。あんな薄汚い民家にいることはこの上なく汚れた気分になる。

 ひぐらしが鳴く中、太陽は少し傾いているようで、雲と斜陽の陰影は綺麗だった。

 今頃、この空の遥か彼方で、紗羅ちゃんは賑やかなバーベキューでも繰り広げているのだろうか。

 羨ましい。羨ましい。

 どうして私はこんなところにいるのだろう。こんな、なにもない、寂れた村に。

 後ろからエンジン音が聞こえてくる。見たこともないような田舎専用の小型トラックが、結構なスピードを出して迫っていた。

 慌てて畑のほうに避けると、日中の雨のせいか土がぬかるんでいて、私は田んぼの中に転げた。

 一瞬、なにが起きたのかわからなくて川原に座ったまま呆然とした。どこかが痛むわけではなかったけれど、外出用のお気に入りの服が泥まみれになっていることに気がつくと、途端に涙が溢れ出てきた。

「お嬢ちゃん、大丈夫かい」

 いつの間にか、知らないおじさんが困った顔で駆け寄ってきた。向こうにさっきのトラックが停まっているのが見える。

 私は急に恥ずかしくなった。服が汚れたことか、それで泣いていることか、それとも貧相なおじさんに心配されていることか、とにかく原因はわからなかったけれど、急に自分が惨めになって、逃げ出さずにはいられなかった。

 

 

■5

 

 どうして私ばっかりこんな目に遭うんだろう。お父様がこんなところへ連れてくるから。これだったらどこへも出かけないほうがマシだった。沙羅ちゃんが羨ましい。

 同じ悲しみと怒りをくるくる巡らせながら、大声で泣いている私はなんとか民宿まで戻っていた。

 だけど、最初に私のことを出迎えたのはホームレスのおじさんで、それからお父様が下りてきて、仕舞には「もどき」までくっついてきていた。

 その光景に、私は民宿の中へ入ることが出来ず、玄関前で泣きじゃくった。

「おどう、さま……わた、わたし、かえりだい……」

 なるべく落ち着いてスムーズに話そうと思ったけれど、嗚咽がそうはさせてくれなかった。

 そのことにも苛立ったし、お父様も困ったのか笑っているのかどっちともつかない顔をして、これから私のことをどうにか説得しようと考えているのが見て取れると腹が立って余計に泣いた。

「わだし、かえる」

 短く言えばつっかえなかった。溢れては落ちる涙を手の甲で拭いながら、私は一歩も動かなかった。

「どうしたんだい琴葉。明後日には帰るんだよ」

 お父様はいつもより少し高い声を出してそう言った。

 明後日? 聞き捨てならない。私は、泣きながら、訴えているの。

「やだぁ……いま、かえる」

 表面上は笑っているが、一体どうしたことかとお父様が小さく息をつくと、「もどき」がここぞとばかりに口を開いた。「ここで慰めればポイントは高いわ」。

「ねぇ、琴葉ちゃん……」

「もういい! 一人で帰るもん!」

 だからこそ「もどき」が喋りだしてすぐに私は爆発した。泣きながら、どこへ向かうのかもわからずに駆け出した。

 後ろからお父様たちの声が聞こえたけれど、足を止めるべき理由がない。

 この村に、私の居場所はなかった。

 

 

■6

 

 しばらくがむしゃらに走っていたと思う。誰かがいる場所には行きたくなく、人の声から逃げるように駆けていた。

 冷静になると、自分がどこにいるのかわからなかった。背の高い草むらと木々に囲まれた、夜の森の中だった。

 いつの間に日が落ちたのか覚えていない。見上げても、生い茂った木が月を隠してしまっていた。風が吹くと葉という葉が揺れ、ガサガサと音を立てた。

 突然言い知れぬ孤独感と恐怖が私の身を包んで、一歩も足を動けなくした。ただ、声を潜めてポロポロと涙をこぼすしかなかった。

 とても近いところで、ホウ、という大きな声が私の肩をびくつかせた。ふくろうの声だったけど、一体どこで鳴いているのかわからない。

 また、ホウ、と声が私の背中を撫でた。ホウ、ホウ、ホウ、ホウ。

「やめて……」

 私は泣きながら小さく訴えた。震えすぎて声になったかもわからない。

 真っ暗だった。私の腕を掠めた葉も、なにを見ても黒だった。

 入ってきてはいけなかった。ここは、夜の住民の住処なんだ。私は暗闇に包囲されていた。どうしたらいいんだろう。

 後ろのほうで、がさ、と音がした。風はなかった。私の涙はピタリと止まって、瞬きができなかった。また、がさ、がさ、がさと音がする。徐々に近づいてくる。

「おや、どうしたんだい、こんなところで」

 その声がして、私はゆっくり振り返った。白衣を着た人間だった。

 彼の背の高さだと月明かりが当たるのか、肌はとても白く見えた。

「泣き声がしたから来てみれば、どうした、怖い目にでもあったのか?」

 私は頷くことも首を振ることも出来ず、ただ震えながらその人を見上げていた。この人は、夜の住民だろうか。

「とにかく、夜の山は危ないからついてきなさい。最近、女の子が行方不明になるそうだ」

 そう言うと、白衣の男の人は踵を返して歩き始めた。

 少し迷ったけれど、彼が遠くなっていくに連れて再び恐怖が擦り寄ってくるのを感じ、私はついていくしかなかった。

 後ろで、ふくろうがホウ、と鳴いた。

 

 

 

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