01 空腹サクラの場合

 

02 嫌悪マリの場合

 

03 冒険イチルの場合

 

04 欲情ネネの場合

 

05 我儘コトハの場合

 

06 秀才シズクの場合

 

07 千夜子の場合

 ※重大なネタバレを含みます。

欲情ネネの場合

 

 

■1

 

 ぎっ、ぎっ、ぎっとベッドの軋む音が聞こえてくる。

 引っ越してきたばかりのこの家は、2LDKとは言え木造だから遮音性が低く、隣の部屋でなにをしているのかが手に取るようにわかってしまう。

 ベッドが軋むのと同じリズムで、いつもとはちがうママの声がこっちの部屋まで漏れてくる。私はそのリズムに合わせて、オレンジジュースの入ったコップを銜えたまま、橙色の液体を少しずつ迫らせたり遠のかせたりして弄んでいた。ママの声はゆっくりだったかと思えば突然早くなったり、強弱が毎回ちがったりするから、オレンジジュースの波をそれについていかせるのには絶妙な技術が必要だった。

 大事なことをしているから扉を開けるなと、私はママに言われていた。時計を見ると短い針が『2』を通り過ぎている。朝からなにも食べていなくて、空腹が痛かった。

 私は迷った。前の家に住んでいた時の話だが、一度だけ『大事なこと』の最中に部屋を開けたことがあった。その時はちょうどパパが帰宅して、そのことをママに伝えに行ったのだ。

 扉を開けると、ママも『ママの彼氏』も素っ裸で、揃って尻をこちらに向けている二人はお互いに広げた股を打ち鳴らしていた。扉を開けたところからは彼氏の『大事なもの』がママの『大事なところ』を入念に調べているのがよく見えて、ああたしかに大事なことをしているんだなと、私は妙に納得した。

 その時、扉を開けた小さな娘のことを発見したママの表情がさっと変わり、それから彼氏のほうも私に気づいてあっと息を呑み、振り向くとバッグを持つパパの腕が小刻みに震えていた。

 その後、もちろん私はこっぴどく叱られ、そのせいでパパとママはなにか深刻な書類に判を押さなければならなかったし、ママは私と彼氏を連れてこの田舎の村に引っ越してこなければならなくなった。私はパパの方についていきたかったけど、『シンケン』について話し合う時、私のことを引き取ることでパパが躊躇した。それに対してママがしつこく「どうして」だの「あなたのほうがあの子を幸せにできる」だの並べ立て、顔を赤くしたパパが怒鳴り声で沈黙を破ると、ママは目を見開いたままなにも言えなくなった。その時パパはこう言ったのだ。

「あの子も誰の子だかわからないんだろ!」

 喉元まで出かかっていたそれを十年近く我慢していたパパのその言葉は、私の耳をつんざいた。

 結局、パパは『シンケン』を最後まで拒否したし、なにより私の肉親はママしかいないことがわかったから、私に他の選択肢はなかった。どんな経緯があったにしても、少なくとも私の物心がついてからしばらくするまで、ママは良きママでいようとしてくれたのだから、そのことについてママを責めようとは微塵も思わなかった。

 

 

■2

 

 それはさておき、さて今日はどうしたものか。

 部屋の扉を開けても怒られるし、勝手に冷蔵庫を物色しても怒られる。私はしばらくコップの中の液体を見つめて、それからぐいっと飲み干すと、ママと彼氏がいる部屋の扉を開けた。

 理由は簡単だった。興味があった。

 ママはいつも『大事なこと』の最中、まるで踏んづけられた猫のような声をなに度も出すのだ。聞き方によっては誰かに殴られていてもおかしくないような声色なのに、ママはいつも望んで彼氏とそれを行っていたし、終わったあとは満足気だった。まだ子供は知らなくていいとは言うけれど、はたして『大事なこと』なのに私は知らなくていいのだろうか。大人だけなんてずるい。私も知りたい。

 扉を開けると、ママはこっちを向いていた。彼氏を下にしてそこに跨り、その豊潤な胸が男の顔に触れるくらいの高さで激しく跳ねていた。

 ママは私と目が合うと、小さくチッと舌を鳴らして、いっそう激しく腰をくねらせた。それまで余裕があったように見えた二人の顔は恍惚とした表情を浮かべ、突然襲われ始めた男は激しい息遣いとともに情けない声を漏らし始めた。今までにないほど大きな声を上げて、二人のけいれんと共に腰の動きが止まると、ママは男から下りて私に怒鳴り始めた。

 私はというと、それどころではなかった。今しがた見た映像が強く脳裏に焼き付けられ、燻る火種とひとつの疑問を私の中に根強く植えつけたことはたしかだった。

「ねぇ、どこに行くの?」

 私のその言葉はひっきりなしに喚き散らすママの声にかき消され、とうとうクッションを投げつけてきたので、私は仕方なく外に出た。

 

 

■3

 

 空腹を忘れていた。それどころではなかった。ママの喘ぎ声が耳から離れない。

 決して嫌悪感は抱けなかった。むしろ好奇心のほうが強く、仕舞いには『大事なこと』なんだから私もしなければいけないという結論に至った。他のどんなことも羨ましいと思ったことはないけれど、『大事なこと』だけはなぜか特別だった。そのことを考えると、どこか奥のほうが熱くなる。

 でも、どの家を探しても『大事なこと』をしているところはなかった。私はもっと見たいのに、村の人々は穏やかな時間を過ごしているだけだ。

「あんたなんか山に入って神隠しにでも遭えばいいのよ!」

 まだ耳の奥を駆け巡っていたママの声が、急に脳に届いた。引っ越してきて日も浅く、山に入ったこともないけれど、山奥にはなにかあるらしい。そういう噂は聞いていた。

 この村の家屋はほとんど回ってしまったし、山の向こうにも農家があるらしかったから、自然と私は山に向かった。

 草むらを掻き分けて木々を通り抜け、やがて開けた場所に出ると、どこかの家の裏手に出た。裏庭には古びた井戸があって、覗き込むとそれはそれは深かった。

 奥から唸り声のような風の音が聞こえて、その暗闇に吸い込まれてしまう前に身体を戻した。

 私は思わず井戸のそばで立ち尽くした。

 古い家屋、凪ぐ春風、擦れる草花の音。とても静かだ。

 でもそうじゃない。私が求めているのは全く別のものだった。

 もう一度、小屋の方から私に向かって風が吹いて、その微かな空気の振動を、たしかに鼓膜で受け取った。

 なにかを堪えるような声だ。ママが『大事なこと』の始めのうちに出すような、溢れ出る興奮と燃え上がる情欲の音。

 きっとこの声の主は、今まさになにかを待ち侘びていて、潤んだ目で相手を見上げているにちがいなかった。

 私は迷わなかった。声がするのはあの小屋からだ。間ちがいない。

 裏手に見えていた縁側に上り、その小屋へと続いている廊下に進むと、床が軋むのも気にせず私はまっすぐに歩いた。

 扉の前に立つよりも早く、金属が絡むような音がして、その扉が少しばかり開いた。

 私は歓迎されている。ここの人はその大事な行為を見せてくれるんだ。

 高鳴る胸を抑えて、自分の手でその扉を開ける。

 中では少女がベッドに寝かされていて、そのそばに白衣の老人が立っていた。

「こんにちは」

 老人はそう言ったが、私の口から出たのは挨拶じゃなかった。

「『大事なこと』をしているの?」

 

 

■4

 

「大事なこと? ああ、そうだね、これは大事なことだ」

 その答えを聞いて、私は内心とても喜んだ。見ていていいんだ。

「大事なことだから、扉を閉めて鍵をかけるよ。他の人には見えないようにね」

 老人は言った通りに鍵を閉めて、元の位置に戻った。

「私はいいの?」

「君はいいんだ。特別だからね」

 言うと、老人は注射器を持ち上げて私に微笑んだ。

「じゃあ、続きをやるよ」

 私はもう少し近づいて、じっくり見ようとした。さっきのもどかしい声の主はこの少女で、やっぱり潤んだ瞳で老人のことを見ていた。

 老人は注射器の中に入っている赤い液体を少しだけ出してたしかめると、それを少女の腕に差し入れて注入した。

 少女はおかしくなったみたいにぶんぶんと首を振り回し、潤んでいた瞳は涙をこぼしていた。

 私の中の熱が急に冷めて、代わりに別の感情で覆われていく。なにかがおかしい。これは私の求めていることじゃない……。

 次第に少女の身体はガクガクと震え出して、それでも四肢がベッドに括りつけられていて自由が効かないから、そこでのたうち回るしかなかった。

 おかしい。おかしい。これは『大事なこと』じゃない。

 背筋をいっぺんに恐怖が襲って、私は急いで小屋を出ようとした。

 扉に手をかけても開いてはくれなくて、遅れて私は施錠されていることを思い出した。

 震える指で錠を回して、扉と壁を結びつけていた鎖を外すと、扉が少し開いて外の景色が映り込んできた。でもすぐに首根っこを掴まれて、小屋の中へ引きずり戻される。

 声を上げようとした途端、真っ白な手が口を塞いで、老人の顔が目の前に来ていた。彼の顔は、額に青い血管が浮かび上がるほど白くて、瞳の縁も白くなりかけていた。

「なんだ、私の大事なことが見たかったんだろ? 好きなだけ見せてあげるからね」

 私は壁に繋がれ、手ぬぐいを噛まされ、名前も知らないその少女が壊されていくのを、彼女の声にならない悲鳴を聞き、飛び出そうになっている血走った目玉に睨まれながら、膨れ上がった顔から眼球が零れ落ちて息絶えるまで、全てを脳裏に刻まなければならなかった。

 やがてなに日も経って、ベッドから少女の姿が無くなり、老人がシャベルを持って帰ってきたのを見ると、私は恐怖に震え上がった。

 

 次は、私の番だった。

 

 

 

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