01 空腹サクラの場合

 

02 嫌悪マリの場合

 

03 冒険イチルの場合

 

04 欲情ネネの場合

 

05 我儘コトハの場合

 

06 秀才シズクの場合

 

07 千夜子の場合

 ※重大なネタバレを含みます。

冒険イチルの場合

 

 

■1

 

 空気の鋭く漏れる音が、内側からうるさいほどに聞こえた。

 それがしつこく繰り返されてからようやく、自分の生命を維持するのに欠かせない行為だと気付いた。

 必死に呼吸を続けていた。普段は呼吸をすることに意思なんて必要ないのに、今は一生懸命にそれをしなければならなかった。

 口腔の大部分がなにかで塞がれていて満足に肺が膨らまない。目は開けているつもりでも視界は真っ暗だった。鼻の付け根の隙間から僅かに見えている光で、自分自身が視力を失ったわけではないことを知った。

 四肢もなにかに括りつけられていて自由に身動きが取れない。部屋の中に機械の駆動音が低く響いている。

 なんだか頭が重くて、よく思い出せない……。

 

 

■2

 

 今年の年末年始は父ちゃんが出張だったから、三月になってやっといとこたちの家に遊びに行くことになった。

 いつもはみんなで年越しそばを食べて、紅白歌合戦を見て、日付が変わると新年を祝う。それが楽しみだったのに、今年はお預けで残念だった。

 その代わり春休みに遊びに行くことになったのだが、例年とは様子がちがった。

 

「どうしていなくなったの?」

 あたしは畑の真ん中にいとこの男の子たちを集めて、臨時の『冒険会議』を開いた。この畑はいとこたちの家の土地で、今は春菊を育てているところらしい。

「朝起きたらいなくなってたんだよ」

 いとこの一番上の兄貴が言った。一人っ子だったあたしは兄がいる生活に憧れていたから、四人兄妹の長男、唯一年上のいとこのことを「兄貴」と呼んだ。

 兄貴に釣られて「いなくなってた!」と叫んだ末っ子の菊次郎を、次男の菊太郎がぺちっと叩いた。

「しーっ! 母ちゃんたちに聞こえるだろ」

「ご、ごめん……」

 下の二人はまだ小さくてやんちゃだった。そんな彼らでも静かにしようと努めるのは、大人たちの対応が子供でもわかるくらいに不可解だったからだ。

「父ちゃんと母ちゃんは、神隠しなんだって言ってた」

「カミカクシ?」

 兄貴の口から初めて聞く言葉が出てきて、あたしはそれを復唱した。

 菊太郎は向こうの山を指差す。

「山に住む神様にミソめられて、向こうの世界に連れて行かれちゃうんだって」

「ミソめられるってどういう意味?」

 即座にあたしが聞くと、兄貴も菊太郎も口を噤んだ。

 菊次郎が「ミソらーめん?」と呟いて、また菊太郎にぺちっとやられた。

「どうして探さないの?」

「探したさ」

 兄貴がすぐに答えたから、私もまた聞き返す。

「全部?」

「あの山以外は、全部」

「それじゃあ全部って言わないじゃん」

 あたしは憤慨した。自分たちの兄妹なんだから、もっと真剣に探すべきだ。

「よし、あの山に行こう」

「でも父ちゃんも母ちゃんも、あそこには近づくなって」

 兄貴はいつもの兄貴らしくなく、弱気になって地面に視線を落とした。

 あたしは立ち上がると、「そんなの関係ない」と残して歩き出す。

「いっちゃん!」

 兄貴は走ってきてあたしの腕を掴んだ。

「駄目だよ、あの山には神様が住んでる。あそこに入っていいのは巫女の家系を継ぐ人だけなんだ。他の人が入ると、神隠しに遭う」

「兄貴、怖いの?」

 振り返って問うと、兄貴は逃げるように目を逸らした。

「意気地なし。桜がなにか悪いことしたの?」

「してないけど……」

「じゃあ、そんなのっておかしいじゃん。神様はどうして桜を取って行っちゃうの? そんなの神様じゃない」

 あたしは兄貴の腕を振り払って、春菊畑の真ん中をずかずかと歩いていった。誰もついてくる気配がないことが頭にきて、もう一度後ろを振り返った。

「あんたたち、ヒーローになりたいんでしょ! ヒーローは怖気づかない!」

 鼻息を荒らげて一気にまくし立ててから、あたしは山に向かって歩いた。

 

 

■3

 

 山は入り口からすでに木々が生い茂っていて、見晴らしの良い畑続きの景色に比べると、日中でもかなり不気味だった。

「本当に行くの?」

 後ろの菊太郎が山を見上げて不安そうに呟いた。

「もしかしたら、桜がいるかもしれない」

 正直に言うと、あたしだって怖かった。

 今日は快晴だというのに山中は光が遮られてしまっているし、上へと続いている道もまるで獣道のようで、草むらからなにが飛び出してくるかわからなかった。でも、いなくなってしまったいとこがいるかもしれないし、誰かの助けを求めているかもしれない。そうだとしたら、行かなきゃいけないじゃないか。

「怖かったら、ついてこなくてもいいから」

 あたしは唾をゴクリと飲んで一歩を踏み出した。

 後ろに列を成していた三人の男たちも少し遅れてついてきていた。あたしより弱気だけど、一人じゃないだけ心強かった。

 

 昔から、いとこの家に遊びに来ると、いとこみんなで探検ごっこをして遊んだ。

 あたしが住んでいる都会はコンクリートで固められた地面から、筋を描いて空を行く飛行機まで、なんでも人の作ったものだから面白みに欠けていた。

 けれどもここは人の手が加わっていないと言っても過言ではなく、ほとんどが自然に支配されていた。いとこの家から少し歩けば水の澄んだ小川があって、そこで魚を釣ったこともあった。森の中へ行くと人の出す音が一切聞こえなくなり、その代わり遠くの鳥が誰かに合図を送ったり、野うさぎがものすごい勢いで駆けていくのを見ることが出来た。

 大地は広大で、いとこたちさえ歩いたことのないような場所がいくつもあって、そこを冒険するたびになにかしらの発見があった。その度に畑の真ん中に集まって、次はこっちだ、いやあっちへ行こうなんて目的地を決める話し合いを、あたしは勝手に『冒険会議』と名づけていた。

 いとこの中で唯一女の子で、あたしと同い年の桜は『冒険会議』にもニコニコしながら参加していた。決して活発なほうではなかったけれど、いつも先頭を歩くあたしとちがって必ず最後尾に立ち、必要な時だけ的確な意見を述べる彼女が、あたしは好きだった。

 なにより家族だし、そんな桜が突然いなくなったなんて、あたしは納得できない。

 

 

■4

 

 とにかくあたし達は山の中を歩いてみることにした。

 獣道は心許なかったけれど、それでもずっと一本道で上へと続いているから、ヒントのないあたし達にはそれを辿る以外になかった。

 特に変わったところはないのに、今まで冒険していた自然とはこの山はどこか空気がちがっているように思えた。

 こことは正反対にある森だって木々が生い茂っていて薄暗く、空気もひんやりしていたけれど、なにかそれとはわけがちがった。だからと言ってなにが原因なのかはわからなかったが、どうやら後ろに続いている三人もそれを感じ取っているようだった。……それとも、単なる思い込みだろうか。

 少なくとも、道を逸れて草木の中を分け進んでいく勇気は、今のところ誰にもなかった。

「なにかある」

 始めに声を上げたのは菊次郎だった。止める間もなく駆けていく。

「こら、菊次郎!」

 あたしも否応なく走らなければならなかった。隊を率いているあたしが、しんがりを追わないわけにはいかない。

「菊次郎!」

 間もなくして菊次郎は足を止めた。あたしの呼びかけに応えたというよりは、止まるべくして止まったようだった。

 そこには一軒の古めかしい平屋が建っていて、おばあさんが軒先で洗濯物を干していた。いくつもの白衣が列を連ねて波打っていて、その光景は意外にもとても爽やかだった。この山に入ってからあたしが警戒していたことが馬鹿らしく思えるくらいに、そこには古き良き田舎の風景が存在していた。

 

 

■5

 

 菊次郎はおばあさんの視界にギリギリ入るくらいのところで、ぽつんと立っていた。おばあさんは洗濯かごを空にして、潤滑油が必要そうな腰の動きでそれを持ち上げると、少年に気づいて「おや」と声を上げた。

「迷子かしら?」

「ううん」

 菊次郎がそう首を振った辺りで、追いついたあたしが彼の肩を掴んだ。

「一人で行っちゃだめでしょ」

 菊次郎を少し後ろに下げると、おばあさんと目が合った。

「お姉ちゃんも一緒なのねえ」

「いち姉はいとこだよ」

 おばあさんはそうかいと言って目を細めると、洗濯かごを縁側に上げた。

 彼女は家事をこなしているただの老婆に見えるし、そうでなくても温厚そうな人物だったから、警戒して後ろで様子を見ていた兄貴と菊太郎に向かってこいこいと手招きした。

「あら、みんないとこなの?」

 全部で四人揃ったのを見ておばあさんは微笑んだ。

「せっかくだから上がっておいき。美味しいお菓子と甘いお茶があるの」

 彼女はそう言って縁側から中へと入っていく。

 あたしたちはおばあさんの背中を見送ったまま、四人並んで立ちすくんでいた。

「どうする?」

 始めに口を開いたのは菊太郎だった。

「甘いお茶、飲みたい」

 菊次郎は素直だ。あたしはそれに反対だった。

「知らない人についていっちゃいけないって、言われなかった?」

「知らない人じゃないよ。あれは御巫のおばあちゃんだ」

 兄貴はそんなことを言った。

「知り合いなの?」

「昔、村の集会で会ったことがある」

 ふうんと、あたしはそんな曖昧な返事しか出来なかった。自分にとっては知らない人だし、こんな山奥に住んでいる老婆のことをどう捉えたらいいのかもわからない。

 その家の居間でおばあさんがお茶を淹れているのを見ると、菊次郎が駆け出していた。

「あ、こら!」

 

 

■6

 

「あらやっぱり、忽那さんのとこの。お兄ちゃんには見覚えがあったものねぇ」

 おばあさんは微笑みながらお茶を配っていく。あたしの前にも湯呑みが置かれた。

 菊太郎と菊次郎はすぐにお菓子をつまんだりお茶を飲んだりして、早々に馴染んでいた。兄貴も人が変わったように、ええそうなんですと大人みたいな喋り方をした。

 騙されていないのはあたしだけだった。田舎ではどうなのか知らないけど、こんな山奥に家が建っているなんて怪しいじゃないか。

「お口に合わなかったかしら?」

 置かれたまま、湯呑みに触っていないあたしに、おばあさんはそう言った。あたしはぶんぶんと頭を振って、おばあさんを見た。

「トイレ行きたい」

 

 居間を出て、洗濯物の海が見える縁側を通り過ぎ、廊下をぐるっと回り込んだところにトイレがあった。

 古い家屋だったから、予想していた通りやっぱり和式便器だったけど、用を足すつもりはないから問題なかった。

「一人で戻ってこれる?」

「大丈夫」

 細かいところまで気を配ってくれるおばあさんを廊下の角まで見届けて、あたしはトイレの中に入った。

 どう考えても、近くに桜がいる気がしてならない。こんな山奥だし、そこにおばあさんしか住んでいないのも怪しい。

 いとこたちはみんな駄目だ。おばあさんを信じきってしまっていて頼りにならない。

 桜を助けられるのは、あたししかいない。

 あたしはトイレの扉にそっと手をかけた。音が立たないよう慎重に開ける。

 廊下には誰もいなかった。靴下を履いているから、すり足で歩けば足音も立たなかった。

 気になっていたところがある。廊下の途中から別れ道になっていた、離れの小屋だ。他にはなにもおかしなところはないのに、ここだけ後から付け足したような構造だった。

 あそこを見ずにはいられない。あたしの勘は鋭いんだ。

 離れの小屋へと続く廊下の前に立った。あと数十メートル先に、桜がいるかもしれない。

 その考えがあたしの足を焦らせる。床がぎいいと鳴って、あたしは飛びのいた。

 その音が遠くまで響いたような気がしたから、物陰に隠れて辺りを伺った。

「ウグイスバリ……」

 あたしは思い出していた。うちの両親は旅行が好きで、ことさら古都には目がなかった。まだ小さいあたしを連れて、子供から見れば面白くない寺院や街道を練り歩くのだ。

 そんな中で唯一あたしの興味を引いたものがあった。あれは京都のどこだったか、とにかく古い寺院の廊下の一角に、踏むと音の鳴る仕掛けが施されていたのだ。

 本来は外敵の侵入を知らせるためのものだったらしいが、幼い子供にとっては、殺風景な古い建物の中にただひとつのおもちゃを見つけたようなもので、父に手を引かれてもなかなか離れなかった。

 しばらくしても誰もやってこない。この廊下がウグイスバリなのかわからないし、ただ単に老朽化しているだけなのかもしれないけど、それと同等の役割を果たしているのは一目瞭然だ。いよいよもって怪しい。

 あたしは再び廊下に挑み、なるべく音の立たない歩き方で小屋に迫った。それでも、廊下はぎいい、ぎいいと音を立てた。

「桜っ!!」

 小屋の扉を勢い良く開けて、それからあたしは固まった。

 白い機械や器具が並べられていて、部屋の真ん中には診察台のような無機的なベッドがあって、その上に誰か横たえられていた。

 その子が女の子だとわかったのは胸のあたりに少し膨らみがあったからだけど、彼女はそれがわかるくらい簡素な白い布をたった一枚、纏っているだけだった。

 どうしたらいいかわからなかった。あたしがこんなに大きな音を立てて入ってきたのに、その子はぴくりともしない。目は開いているけど、瞬きもしないで天井を見つめているだけだった。

 やっと金縛りが解けて、少しずつ近づいていくと、その横顔が桜ではないことはよくわかった。じゃあ、この女の子は誰だ?

 両手両足と胴がベッドに縛り付けられているのに、抜けだそうともがいているわけでもない。むしろ生きているのかすらわからなかった。

「ね、ねぇ……大丈夫?」

 反応はなかった。瞳はただ一点を見つめ続けている。呼吸はしているようだけど、他に人間らしいところはどこにもなかった。

 ふと、彼女の瞳に入り込んでいた光がなにかで陰った。

「その子はね、マリって言うらしいんだ」

 後ろからしたその声に、振り返る時間はなかった。首元にちくっと痛みが走って、それから……。

 

 

■7

 

 それから、あたしが意識を取り戻すまでどれくらいの時間が経ったのだろう。

 こんな経緯を思い出したって、磔になっている手足が自由になるわけでもなければ、視界が開けるわけでもなかった。

 声を出そうと思っても、口に噛まされたなにかで音が遮られてしまう。

 部屋の外からぎいい、ぎいいという音が聞こえてくる。扉が開いて、誰かが入ってきて、閉まって、がちゃがちゃと鍵らしきものを設置する音が聞こえて、それから足音が近寄ってくる。

 やめて、あたしに触らないで、今すぐ自由にして! その声が、言葉になっていない単調な音を発し続けた。

「君はひときわ元気がいいねぇ」

 おばあさんとはちがう、年寄りな男の声だった。

「あの子はもう駄目だったから、代わりが来てくれて助かったよ」

 あたしの身体が持ち上げられて、壁からベッドへと移される。拘束具は外されなかったけど、視界を覆っていたものだけが取り払われて、しばらく白い光が世界を支配した。

 徐々に視界が戻ってきて、その言葉を発した人物の輪郭を捉え始める。

「さて、研究の続きをしようかな。君は病気なんだけど、大丈夫、私が治してあげるからね」

 白衣を着た不気味なほど白い肌の老人が、あたしの瞳を覗きこんでにんまり笑んだ。

 

 

 

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