01 空腹サクラの場合

 

02 嫌悪マリの場合

 

03 冒険イチルの場合

 

04 欲情ネネの場合

 

05 我儘コトハの場合

 

06 秀才シズクの場合

 

07 千夜子の場合

 ※重大なネタバレを含みます。

空腹サクラの場合

 

 

■1

 

「とーちゃーん!」

 あたしがそれを掲げると、波打つウネの向こうで父ちゃんが曲げていた腰を伸ばした。

「見て! でっかい大根! 二股なの!」

「おー!」

 向こうから歓声が飛んできた。

「それは出荷には出せねえから、今夜の夕飯にでもすっかー!」

 形の悪い大根は、業者が買い取ってくれないそうだ。同じ値段なら大きいほうが得なのにと、あたしはその立派な大根を撫でて土を払った。

 後ろからぬっと伸びてきた手が、あたしの大根を持ち上げた。

「おお、重い重い。こいつは立派だなぁ」

「兄ちゃん」

 あたしよりも一足先に生まれた兄ちゃんは、いつの間にか見上げるほど背が伸びていた。

 兄ちゃんの後ろから太陽が照らすから、その大きな黒い影を仰いだあたしは目を細めた。

「川村さんのとこから、今朝穫れた秋刀魚をもらってるからよ、とれたての大根で食ったらうめえぞ。醤油をちっと垂らすんだ」

 あたしは返された大根を抱え直す。

「秋刀魚、いくつもらったの?」

「数えてねえからわかんねえけど、人数分はあるんじゃねえか?」

 兄ちゃんを見上げたまま少しぽかんとしてから、ひぃ、ふぅ、みぃ、よぅ、と指折り数える。

 父ちゃんと母ちゃん、爺ちゃんに兄ちゃんにあたし、それに弟が二人だから……。

「ななつ?」

「そんくれえだ」

 あたしが首を傾げている間に、兄ちゃんは収穫に戻っていた。

「サボってねえで働けえ」

 遠くから父ちゃんの声が聞こえた。

 

 

■2

 

 「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぅ……」

 なに回数えても一緒だった。夕飯の食卓に上がったのは六尾の秋刀魚。

 大根を摺り下ろすあたしの手が止まった。

「一匹足りない」

「足りなくないよ」

 盆を持った母ちゃんが隣に来た。ご飯のお椀はちゃんと七つある。

「母ちゃんの分はいいから」

「だめ。母ちゃんは赤ちゃんの分も食べなきゃ」

 母ちゃんの少し大きくなったお腹には、三人目の弟がいるのだ。

「あらあら、じゃあ誰かが我慢しなきゃいけないじゃない」

 微笑みながら、母ちゃんは味噌汁を取りに台所へ戻った。

 あたしは再び大根を下ろす作業に戻った。テレビでは世界の珍味特集をやっていて、不気味な食べ物を美味しそうに食べる美人さんが映っていた。

「あんな黒いつぶつぶ、美味しいのかなぁ」

 あたしがぼそりと呟くと、通りがかった兄ちゃんが足を止めた。

「兄ちゃん、あれ、鮫の卵なんだって」

「へえ。ヤギのフンかと思った」

 率直な感想だった。高級なものらしいが、全然高そうに見えない。

「美味しいのかな」

 その疑問を拭い切れなかったが、兄ちゃんは「美味そうに食ってるから美味いんじゃないの」と投げやりな答えで歩いて行った。

 

 

■3

 

 始めに爺ちゃんが食卓の端につくと、それに釣られて続々と男たちが集まってきた。

 末っ子の菊次郎が走ってきて、畳の上でコケた。一つ上の菊太郎がそれをからかうから騒がしい。

「今日は秋刀魚か」

 爺ちゃんはぐい呑みに酒を注ぎながら、香ばしい匂いを漂わせる焼き魚をしばしばと見た。

「川村さんのとこのだって。一匹足りないの」

 あたしは摺り下ろしたばかりの大根を爺ちゃんの秋刀魚の端にちょこんと据えた。空いた手で菊太郎を叩いてから、泣き喚く菊次郎の首根っこを掴んで起こしてやる。

「今年は暑かったもんなあ」

 爺ちゃんは自分の秋刀魚を見てから、さりげなく片眉だけを上げて母ちゃんの卓を見た。そこに秋刀魚はなかった。

「暑いと獲れないの?」

 その問いに答えたのは後ろから来た父ちゃんだった。

「不漁になっちまうからな」

 風呂あがりの手ぬぐいを首から下げて、瓶ビールをコップになみなみと注ぐ。一口ちょうだいと兄ちゃんが横から手を出すが、お前にゃまだ早いと父ちゃんはコップを遠ざける。

「さ、食べましょうか」

 最後にきた母ちゃんが腰を下ろしながらそう言うと、ちぐはぐな頂きますが鈴虫の声を掻き消した。

 あたしは箸を持ったまま、自分の秋刀魚をじっと見つめる。焼きたての秋刀魚はまだ熱々で、絶妙な具合の焦げ目が食欲を挽き立てた。

 みんなの前には一匹ずつあるのに、母ちゃんのところにだけない。

 ごくりと唾を飲み込んでから、あたしは自分の秋刀魚を母ちゃんの前に押しやった。

「あら、桜?」

 母ちゃんが目を丸くして、あたしは少し顔を伏せた。

「秋刀魚、嫌い」

「嘘だー! 姉ちゃん、こないだ僕の分まで食べた!」

 菊太郎がそう言うと、菊次郎まで「食べた!」と繰り返した。

「うるさい。菊次郎のは食べてないでしょ」

 あたしが短く返すと、菊次郎は「そうだった」と言って黙る。

「ありがとうね。じゃあ、半分こしようか」

 母ちゃんが綺麗に秋刀魚の半身だけ剥がしてこっちに寄越した。

 別に、当たり前のことをしただけだ。だってあたしは、お姉ちゃんだから。

 あたしは摺り下ろした大根をたんまり乗せて、黙って秋刀魚を食べる。

 大根だけはたくさんあった。

 

 

■4

 

 あたしが生まれた時、あたしには兄がいた。

 だからそれからの数年間は、あたしは忽那家の末っ子で、兄ちゃんの妹で、男臭いこの家での唯一の「女の子」だった。

 わずかにしか覚えてないけれど、その時はたしかに可愛がられていたと思う。一身に愛を受けているだけで良かった。

 だけどそれも、あたしに物心が芽生えるか芽生えないかのそんな時期に、母ちゃんのお腹が膨れるまでの話だった。

「桜、弟が出来るんだよ」

 大きくなったお腹をさすりながら、母ちゃんは優しくそう言った。

「それって、すてきなこと?」

 あたしが一番下じゃなくなるのとか、今まで可愛がられるだけで良かったのにこれからはちがうのとか、そういった難しい質問をどんな言葉にして尋ねればいいのかわからなかったし、仮に尋ねられるだけの言葉があるとして、それを口にしていいのかわからなかったから、あたしはそう訊くしかなかった。

「そうね、とっても素敵なこと。家族が増えるんだから」

 だから母ちゃんがそう答えたまさにその時、あたしは生き方を変えなければいけないと悟った。

 あたしも誰かを可愛がらなければいけなくて、これからは兄ちゃんと同じ立場に立たなければいけない。決して深く考えたわけではないし、まだ考えられるような年頃でもなかったから、本能的に「弟ができるということ」を肌で感じたのだった。

 

 やがて菊太郎が生まれ、あたしは「お姉ちゃん」になった。それまで母ちゃんのことが大好きで、ことあるごとに抱きついていたが、彼が生まれてからはぱったりとそれをやめた。母ちゃんが新しい赤ん坊を抱いているのを見ると、あたしはやめざるをえなかった。それが我慢であるということを理解するのは、それからかなり後のことだ。

 あたしが大好きな母ちゃん。そんな母ちゃんがとても大事にしている「彼」を、あたしが大事にしないわけにはいかなかった。その一年後、四人兄弟の末っ子である菊次郎も我が家に加わった。

 あたしは彼らが大事だった。母ちゃんという反射板を経ての屈折した愛情ではあったが、それが愛情であることに嘘偽りはなかった。

 ただ、問題はあった。

 ひとつに、我が忽那家は裕福な資産家の一族ではなく、きっと前世も江戸時代のくだらない百姓かなにかだったにちがいないと思うほど、至って普通の貧乏な農家だった。家こそだだっ広いけれど、それは周りに建造物がなにもないど田舎だからだ。

 そこに、七人家族の、しかも末っ子たちはまだ働き手にもならないような幼さだから、これまでの質素な生活はさらに加速した。おまけに女二人に対して男五人なわけだから、一升炊いた米がその日のうちに底をつくなんていうこともざらだった。

 もうひとつは、あたしがこの家で唯一の「お姉ちゃん」であること。なによりこれが、あたしの想像を裏切るほどに重い枷だった。

 当初、あたしは兄ちゃんと同じような役回りになるんだと思っていた。兄ちゃんがあたしを妹として可愛がるのはまさに一緒にいる時だけで、兄ちゃんの見たいテレビがある時とか、兄ちゃんがなにかと戦うようにご飯を掻き込む時とかは、妹という存在が彼の頭の片隅にさえ存在していなかった。兄ちゃんの都合によってあたしは彼の可愛い妹であったし、また同じようにしてそうでなかったりした。

 でも「お姉ちゃん」はちがうのだ。

 あたしに与えられた「お姉ちゃん」のお仕事内容は、つまるところ姉であり父であり、そして母であることだった。

 姉として可愛がり、父としてやんちゃな弟二人を叱り、母として子供二人の面倒を見なければいけなかった。

 その「お姉ちゃん」という役職を辞任するわけにはいかなかった。七人分の炊事洗濯で一日中休まることのない母ちゃんを目の前に、あたしだけ職務放棄するなんて、それが一家の裏切り者になることは考えずともわかった。

 ご飯の配膳の時、母ちゃんの隣に立つと、たまに母ちゃんは頭を撫でてくれた。それは「お姉ちゃん」に与えられた唯一のご褒美だった。だから、それは良かった。これも、本題に比べれば些細なことだ。

 忽那家では家族総出で農業に取り掛かり、あたしはそれを欠かしたことはなかった。

 日中、働けば働くほど、育ち盛りの身体は燃料を消費して、腹の虫は機嫌を損ねるのだ。兄ちゃんは、食卓では必ずご飯をおかわりするけど、あたしにそれは許されなかった。「お姉ちゃん」の本当の問題はこれだった。

「男たちはよく食べるからね」

 生まれた時から知っていたかのような口ぶりで、母ちゃんは誰に向けるでもなくそう言った。

 あたしはお姉ちゃんだから、男たちがよく食べれば食べるほど、お姉ちゃんは我慢せねばならなかった。

 たしかに、あたしは弟二人が出来たことによって、我慢を強いられる機会は増えた。それにしても、これだけは対等ではないと、腹の内では不服を抱えていた。でも、目の前で同じように我慢をしている母ちゃんがいるから、なにも言えなかった。

 ただのどん百姓のくせに、だからこそかもしれないけど、平成という元号になってもまだ、男性優位の社会がここに築かれていた。

 

 

■5

 

 その日の夜、あたしは布団の中で目を覚ました。

 まだ眠りについてからいくらも経ってない。

 まるで胃のあたりがへこむようだ。菊次郎の足をどかして、菊太郎の手を押しやって、むくりと上半身を起こした。

「……お腹減った」

 家族はみんな寝ていた。明日の朝も早いからだ。

 どうしてこんなにお腹が減るのかわからないけれど、いつもなら我慢できるのに、とにかく食卓のある部屋まで起きて行った。

 当然、食卓にはなにもない。開け放たれた障子から月の明かりが差し込んでいて、鈴虫はまだ鳴いていた。

 台所へ行くと冷蔵庫が唸っていた。開けても中に目ぼしいものはなにもない。とりあえず牛乳を一杯飲んで、コップを流しに置いた。

 今朝穫ったばかりの大根をかじるのはよしておいた。それは前にもやって、辛いだけだと知っていた。

 縁側に腰掛けて外を見ていると、少しずつまぶたが下りてきた。鈴虫の心地よい子守唄と、秋の夜風がさあっと木々を揺らした。

 げこ、と一つ聞こえて、それからぽちょんと水の音がした。あたしは目をこすって、サンダルを履いた。

 

 目の前の田んぼに行くと水の波紋が広がった。

 きっと蛙がいたのだろう。水面に月が映っていて、その底に黒いつぶつぶが沈んでいるのが見えた。

「きゃびあ」

 ぽつっと覚えたての単語が口をついた。

 それが高級珍味ではなく蛙の卵だって知っていたけれど、夕飯時のテレビの映像が頭から離れなかった。

 また夜風が吹いて稲が揺れると、写り込んだ月とはちがう明かりが水面にあった。道の向こうの山を見上げると、一点の明かりが灯っていた。

 お腹がぐぐうと鳴いて、それがあたしの興味と手を繋いだ気がした。

 

 

■6

 

 夜の森を怖いと思ったことはなかった。

 もともと山育ちだし、夏になれば虫取りに出かけるし、小さい頃からあたしの立派な遊び場だった。

 そこらじゅうに月明かりも照るから、暗くてもよく見える。ふくろうが鳴いてくれるから、この山になにも怖いものがいないとわかる。

 夢中で歩いていると、もう目の前には明かりのついた小屋が見えていた。こんな遅くだというのに、まだ煌々と電気をつけている。

 その小屋は小さいけれど、すぐそばの大きな家と廊下で繋がっていた。その廊下を、お盆を持ったおばあさんが歩いている。

 盆の上にはおにぎりとお椀と……とにかく食べ物が載っているようだった。

 お夜食です、とそのおばあさんは言って、扉の前にお盆を置いて引き返した。おばあさんが歩いて行くと、ぎいい、ぎいいと廊下が軋んだ。

 あたしはそれをしばらく見ていた。おばあさんはあたしに気づかない様子で、そのまま家の中へと入ってしまった。

 あたしは、お腹が減っていた。

 

 

■7

 

 手前の縁側に上り、おばあさんが歩いていた道を辿った。廊下の向こう、小屋の前には食べ物が置いてある。

 あたしが踏み出すと、廊下がぎい、と鳴った。小屋の前の蛍光灯がパチンと弱く点滅する。喉がからからになった。

 少ししても、辺りの虫の声が鳴り続けているだけでなにも変化はなかった。

 安心して、それから次の一歩は廊下が鳴らないように細心の注意を払った。ぎ、ぎ、と小さな音はしたが、辺りに響くほどではない。

 お味噌汁から湯気が立っていた。海苔で巻かれたおにぎりと、よく味の染みていそうなお新香が添えられている。

 滲んできたよだれをごくりと飲み込み、そっと手を伸ばす。

 背筋がぴんと張り詰めた。目の前の扉がススッと開くと、中から白い手が音も無くあたしの腕を掴んだ。

「お腹が減っているのかい」

 白い手の主はその顔も白い肌で覆われていて、眼鏡の奥の瞳の色は淀んでいた。その白髪交じりの大人は白衣を着ていたから、きっとお医者様なんだと思った。

 あたしは嘘をつくことを知らなかったから、正直にこくりと頷いた。声は、出なかった。

「これ、食べたい?」

 また頷くと、お医者様は白い顔でにんまりと微笑んだ。

「食べていいから」

「ほんとう?」

 その時やっと声が出た。この空腹を癒せることが嬉しかったんだと思う。我慢しなくていいのは初めてだったから。

 不気味な白さのお医者様だけど、きっとお医者様だから優しいんだ。なんだ、怖がらなくてよかった。

「ああ、お入り」

 お医者様がお盆を持って中に入れてくれた。

 その部屋の中には大きな機械が色々あって、どれも見たことのないようなものばかりだった。

 部屋の隅にはケージが積み上げられていて、中で真っ白なネズミがケージをカリカリと掻いていた。

 後ろで扉が閉まり、カチリと鍵のかかる音が聞こえて、お医者様はまたにんまりと微笑んだ。

「ちょうど、欲しかったんだ。君みたいなのが」

 

 

 

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